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2023年の初記事は、町田そのこさんの『ぎょらん』の感想です。
町田そのこさんの作品は、2021年に『52ヘルツのクジラたち』が本屋大賞受賞しました。
作品
タイトル: ぎょらん
著 者: 町田 そのこ
発 行: 新潮社
あらすじ
死者が遺す赤い珠「ぎょらん」は、その者の”最期の思い”が形になったもの。それは受け取る生者にしか見ることができず、死者の肉体と共に消滅する。朱鷺(トキ)はある身近な人間のぎょらんを口にし、十年という長い月日を部屋に閉じこもり過ごしたが、母親の具合が悪くなったことをきっかけに社会復帰し、葬儀屋 天幸社に勤める。そこで出会う死者と向き合う人々の物語と「ぎょらん」の真相を巡る連作短編集。ぎょらんを口にした朱鷺は一体何を見たのか。「ぎょらん」とは一体なんなのか・・
感想
都市伝説のような「ぎょらん」の謎を追う話と同時に、身近な人間との別れを経験した人々が、深い悲しみを乗り越えていく人間ドラマが繊細に描かれています。
何度も胸が締めつけられました。人と人が心を通わせることの大切さ、接し方の重要性、自分はこの生涯をどのように終えるのか、そんな壮大な課題を得ることができました。
自分だけが知る罪
印象的だったのは、罪と後悔に苦しむ人々。償いたくても相手はもうこの世にいないという現実の中で、苦しみながらも支え合い生きた夫婦の話「夜明けのはて」
2人は「自分だけが知る罪」を共有していました。
「自分だけが知る罪」というのは、実際に相手を傷つけたのではなく、心の中で相手の不幸を願い、傷つけ、それが現実となって生まれてしまった罪の事。
あなたのせいじゃない。きっと何度だって言われただろう。だけどそんなこと、助けにならない。罪だと自分で分かっているものを他人に赦されても、救われるはずもない。 引用 「夜明けのはて」(『 ぎょらん 』より)
傷つけた相手に許されて初めて、自分を許すことができる。相手も知らない、自分だけが知る罪をどう償えば良いのか。
僕は、命に対する贖罪なんて突き詰めればできないと思ってる。一生をかけて自分なりの償い方を模索するしかない。自分の選んだ道が正しかったのか、ましてや許されるかなんて精一杯のことをして死んだ後にしかわからないことだ。引用 「夜明けのはて」(『 ぎょらん 』より)
たとえ罪を犯したとしても、生きている人間には、罪と向き合い償う時間がある。
いつ、自分が背負うことになるかわからない身近な罪。家から職場までの間に、頭の中で最低一度は、愚痴を垂れている自分が怖くなりました。
そこで「举头三尺有神明」「頭上三尺に神あり」という言葉を思い出しました。頭を挙げるとすぐ上に神がいて、良いことも悪いことも神は見ている、という意味です。信じるかどうかはさておき、意識しながら日々を過ごすことは結果的に自分や誰かを守る盾になるのではないかと思いました。
小話 初めての読書と”ごめんなさい”
「ぎょらん」を読んで思い出した懐かしい記憶。私が厚めの本を1冊まともに読み切ったのは、中学入りたての時でした。作品はアレックス シアラー著「青空の向こう」
幼い主人公が家族と喧嘩別れをしたまま事故に遭い死んでしまう。それから幽霊となって現世を旅するという内容だったような・・・。 ← 記憶曖昧です。
読み終わってすぐに、恐怖で本を捨てた記憶があります。こんなふうになりたくないし、死にたくない。当時は理解力に乏しく、悪いことをすると主人公のようになってしまうと誤った認識をしてしまったようです。それからは、とりあえず「ごめんなさい」を言う子になっていました。私の謝り癖はここが出発点だったようです。
今では謝罪に心がなくなり・・・原点を思い出しました。
ーー なんだか懐かしい読後感でもありました。
もし本当に「ぎょらん」があるとすれば、いつかその時が来た時、自分は大切な人の心に何を残してあげられるのだろうか。繰り返す毎日に何か変化を起こすきっかけになる一冊でした。
今回の相棒
今日の香りは金木犀。金木犀の香りって心地よくて、少しだけ切ない気持ちになるんですよね。