ご訪問いただきありがとうございます。カオルです。
今回は、川上 弘美さんの『某』の感想、紹介です。ネタバレの可能性あります。
川上 弘美さんの作品は、1996年に『蛇を踏む』が芥川賞受賞、2001年には『センセイの鞄』が谷崎潤一郎賞を受賞しています。その他賞も多く受賞されています。大好き大好き推し推し作家さんです。
作品
タイトル: 某
著 者: 川上 弘美
発 行: 幻冬社
あらすじ
名前も性別も自我もない。ある日どこからか突然出現した「誰でもないもの」の存在には、始まりも終わりもない。
人間の姿に擬態できる「誰でもないもの」は蔵医師の元で治療を受けることになる。治療法は擬態した姿ごとにその人間を演じ、自我同一性を確立すること。そうして高校生 丹羽ハルカになった。
その後、老若男女国籍問わず何度も姿を変え生きる「誰でもないもの」は、多くの感情を知り、仲間と出会い、長い時を経て少しずつ変化していく。「誰でもないもの」は「自分」になることができるのだろうか・・・。
感想
「誰でもないもの」と共に自分探しの旅へ出掛けて、戻ってまいりました。
今回も川上弘美さんの描く、近いようで遠い独特な世界観にどっぷりハマりました。
SF要素の強い本作ではありますが、こうも身近に感じる要因は、やはり本質を捉えた心理描写だと思います。現実離れした登場人物と世界観のおかげで、人間のリアルな心の動きに酷く心抉られることがない、その絶妙なバランスがたまらない。ふわっと心地よく、刺さる不思議な物語。
誰かを演じること
「誰でもないもの」が擬態し人間を演じることで、少しずつ違和感を抱く部分に共通点を感じました。どこか自分らしくない気がするけれど、一体何だろうか?単純な疑問であるけれど、その正体を突き止めるのは難しい。
心を守りながら日々生きるには、多くの仮面が必要になる。 学校、社会、環境に適応するため適切な人格で対応する。 そして、いつの間にか自分の素顔を忘れてしまうのだ。
嘘を重ね、真実を見失う。 それは自分に対してついた嘘も同じだと言えないだろうか。
自己分析を行う自分は自分なのか?笑 ..というか人間って何?なんて考えるほどに引き込まれましたが、御伽話だと落とし込める柔らかさがあるので、いい読み心地。
自己の統合
「誰でもないもの」は何度も姿を変えてあらゆる人生を生き、共感すること、愛すること、恐ることを知っていく。成長を描いた物語であると思うが、統合という言葉もしっくりくる気がする。
後半の章では、物語の色が変わり飽きさせない。「誰でもないもの」が迎えた結末はとても良かったと思います。
誰かのために生きること
自覚無く誰かのために生き始めていた「誰でもないもの」は、体を変化させることができなくなってしまう。
愛すること、誰かのために生きることを知った時、恐ることを知るのではないか。
自己犠牲は行き過ぎた表現かもしれないけれど、それに似た行動自体が自分の心をよく知っているという証明になるのではないかと思う。
愛を知る
「なぜ二十年間ずっと一緒だったのに、今まで気づかなかったの?」
「時が満ちたんだよ」
このやりとりがめっちゃ好き。「時が満ちたんだよ」って。わかる気がする。
友達、家族にも言えることですが、永い間そばにいても気付かなかった気持ちを、ある日突然自覚する瞬間ってありますよね。
今回の相棒
シトラスウィンターの香り。精油は1滴くらいがちょうどいいらしい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
川上弘美さんの作品を読破することが最近の目標です。
私は、世界における自分の位置を確かめることよりも、自分そのものを慰撫することが好きだ。P167 ラモーナ
この言葉が好きです。心静かにのんびりと生きていたいですね。
#読了 某 川上弘美
— アキカオル (@aki_kaoru33) 2023年4月7日
名も性も自我も無く、始まりも終わりもない。"何者でもない"ものが、人の世界に生き、最後"自分"になる話。
心を守りながら日々生きるには、たくさんの仮面が必要だと思う。で、いつの間にか自分の素顔がわからなくなる。
自分の素顔を見つけられる本。
私 何言うてるんやろ 笑 pic.twitter.com/SODOXxu9cu